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銭湯のある生活
新しい元号が発表され、令和に改元されるまでに数日となりました。昭和を懐かしむように、平成を懐かしむ日もそう遠くはないのかもしれませんね。懐かしむといえば、古き良き時代というのでしょうか、最近テレビコマーシャルにて、「縁側がある銭湯」がピックアップされています。下町北千住の銭湯「タカラ湯」には縁側があるそうです。「銭湯に行く習慣がある人」「縁側がある家に住む人」自体がとても少なくなっている中、銭湯文化が話題になっています。各家庭にお風呂が当たり前にある近年、銭湯や縁側がなぜピックアップされるのでしょう。
日本の入浴習慣の歴史
銭湯という施設が出来るまでにはどのような歴史を辿ってきたのかを見てみましょう。
サウナやお風呂に入る事を入浴といいます。そして、世界中で古代からある沐浴が原点になります。「沐浴」の「浴」は身体を洗う事、「沐」は髪を洗う事です。水や湯、水蒸気で身体髪膚をを清める行為や禊の事をさします。宗教上の儀式や、傷病の治癒、保健衛生、娯楽などの目的で、沐浴がされていました。主に宗教的な事が多く、様々な宗教が水に親しむのは、罪や汚れから開放されるという考え方で、禊のような意味合いでした。
日本では神話である「古事記」に伊弉諾尊(イザナギノミコト)が黄泉の国から帰りの日向の橘の事の阿波岐原で禊払いをした事に始まるとされています。そして、古くからある草津温泉、諏訪温泉、道後温泉などの温泉は、約3000年前から人々の生活の拠点とされていたようです。縄文式土器、弥生式土器が発掘されています。
温泉の発見は神がかりな現象と考えられ、病傷の災難除け、健康の保持、心の洗浄をする物として、御神湯(ごしんとう)と称されていました。奈良時代の「風土記」に人々が温泉に入浴していた事が書かれており、人々の間で温泉の効能も広まっていたようです。
湯に浸かる沐浴よりも、蒸気によるサウナような蒸し風呂が多く利用されていました。岩窟(いわや)、石室、岩室、土室に火を焚いて、空間全体を温めた後、灰などの燃えカスを出し、熱気にがこもった室内ない入るという輻射熱方式の熱気浴です。また、熱したは室内に、水分を含ませた筵(むしろ)や、海藻類等を敷いた上に水を撒いて蒸気を充満させるという蒸気浴も行っていました。
6世紀に仏教の来伝され、7世紀になると聖徳太子が仏教を積極的に取り入れ発展していきました。仏教には沐浴をする事は仏に使える者の大切な仕事と考え、功徳(くどく)を説いています。そして、仏教寺院には浴堂が作られ、人々は温泉以外の場所で入浴する習慣は広まったそうです。奈良の大仏で有名な東大寺にも「大湯屋」と呼ばれる浴室がありました。そこでは、「修行としての入浴」と「衆生済度」(しゅじょうさいどと読み、迷いの苦しみから衆生を救って悟りの世界に渡し導くという意味)の一環として重視されていました。また、「温室うんしつ」は保険や病気の治療に用いる蒸し風呂、「浴室」は僧侶が身体を清め汚れを除去する為の洗い場としていました。
庶民に広まるのは、東大寺や興福寺等の大寺院が庶民の健康増進、そして仏教の布教活動の一環として提供していた「功徳湯」です。その後、多くの寺院で慈善事業として「施浴」(蒸気浴や熱気浴)が実施されるようになりました。
この「施浴」が習慣となり、後に積善(善行を積み重ねる事)として公家や高貴な人々に広まります。そして、鎌倉時代から室町時代にかけて都市に公共の浴場が出来ます。その多くは蒸し風呂だったようです。蒸し風呂は江戸中期まで続きます。
銭湯の始まり
寺院で行われていた施浴は、庶民にとって宗教的な意味だけではなく、うれしい施しであり、入浴を楽しむ事を知る事となりました。平安時代には京都に銭湯のはしりともいえる「湯屋」が出来ました。
また、貴族階級の人々は、お茶をふるまったりするように、湯をふるまいもてなす事が一つの習慣となりました。そして、「風呂ふるまい」は、庶民階級でも富裕な家が、近所の人々に風呂をふるまいました。また、地方でも村内の薬師堂や観音堂に信者が集まり、風呂をわかして入り、浴後は持参の酒・さかなで宴会をする「風呂講」が行なわれました。
江戸では、徳川家康が江戸に入った翌年からです。(慶長見聞録に、1591年に銭湯を建てたという記録されています) 江戸の最初の銭湯は蒸し風呂だったと考えられています。その後、膝位まで湯をはり、上半身は湯気で蒸すといった半身浴のような入浴スタイルになりました。
そして、たっぷりの湯でつかるお風呂ができたのは、慶長の末頃です。最初は、桶に湯を入れていましたが、後に桶の中に鉄の筒を入れて、下で火をたく方法が江戸で使われていました。関西では、五右衛門風呂スタイルでした。
明治時代になると、男女混浴がなくなり、現代のスタイルに近くなってきます。大正時代になるとさらに近代化され、タイル張りになり、蛇口のついた水道が出来、衛生面が向上します。
東京周辺の銭湯
銭湯といえば、神社仏閣のような宮造りの瓦屋根に大きな煙突です。これは、関東大震災の復興期に宮大工さんが人々への励ましとして、唐破風様式の豪華な銭湯を建設しました。これが、評判となりそれ以降建てられた銭湯は、宮造りで建てられるようになりました。
そして、浴室の正面にある背景画。富士山が多いですが、これは大正の頃に始まりました。お客さんに喜んでもらいたいという経営者のサービスから始まったそうです。ペンキ絵が代表ですが、九谷焼のタイル絵もありました。
銭湯の利便性
今では、各家庭に必ずと言っていいほどお風呂があり、銭湯の数は年々減少していきます。建物の老朽化と後継者がいない事、経営が難しいという事でしょうか。ですが、スーパー銭湯等が出来ては潰れを繰り返している反面、昔から変わらずに賑わっている銭湯がまだまだあります。
銭湯は、ご近所に住んでいる老人にはとても利便性の高い施設となっています。最近は高齢者のみで暮らしている家庭も多くなり、お風呂に入るのも一苦労のようです。まず、お風呂の掃除がままならなくなり、無理をすると危険を伴います。そして、入浴中に滑って転ぶ、眠り込んで溺れてしまう等の危険性、また心筋梗塞等の心配があります。気づくことが遅れると命取りになる事が多くなります。
そこで、近所に銭湯があると、いつもきれいなお湯で快適に入浴が出来ます。そして、脱衣所と浴室の気温差もなく、広い所で快適に身支度が出来ます。何よりも、人々との交流の場にもなりますので、ちょっとした会話を楽しむ社交の場になります。
お年寄りに限ったことではなく、銭湯は、昔から地域の人との交流の場になっています。大きな湯船にのんびりと浸かる事で、リラックス効果と共に、なんとなく会話が始まるのでしょうか。親しみやすい空間がつくられるのではないかと思います。
楽しめる銭湯
今や、遠くの温泉地に行かずとも、都内の銭湯にて良いお湯に巡り合えるようです。季節や日によって変わる薬湯(ハーブ湯)や、軟水を使用、電気風呂、サウナに水風呂など。また、井戸のお水を薪で焚いたお湯はとても柔らかく、身体の芯まで温まり冷めにくいそうです。そして、都内でも温泉を引いている銭湯もあります。遠くの温泉地までいかずとも、300~520円※で温泉が楽しめたら、往復の移動に疲れる事もなく、リラックスできそうですね。
※銭湯の入浴料金は各地で値段が違います。→全国の銭湯入浴料金と軒数 一覧表 (令和6年2024年最新版)をご参照下さい。
まとめ
4月26日は「良い風呂」の日です。そして、なぜだか関東は寒い一日となってしまいました。こんな日は身体を芯から温めてたいものです。また、明日からの長期休暇に銭湯めぐりをするのも良いですね。
銭湯には、縁側や中庭がある所や、くつろげる休憩所がある所も多いので、近所に銭湯がある方は、バスタオル代わりにバスローブを持って行き、そのままくつろぐのも良いかもしれません。
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